<スタッフ紹介>

北野裕子

 

コラム

 

染織祭の物語

 

■第16回 染織祭の背景

     2.室町問屋の思惑@安くなった生糸と白生地ちりめん

 

 

前回は昭和恐慌期に斬新なデザインと価格の安さで関東織物の銘仙が都市部だけでなく、全国の女工さんや農村の娘たちにも売れていたことをお話しました。

そんな銘仙に次いで売れ出したのが高級呉服地のちりめん(縮緬)です。室町四大商社のひとつ、丸紅京都支店長の矢守治太郎は次のような予想をしています。生活向上による高級品へのあこがれは人の世に共通したことで、政府が緊縮や節約を大きく叫んでも養蚕地域や特殊な事情のある農村を除き、都会では絹布が34割安くなっているため需要を喚起すること、さらに、ちりめんは織物界の最高級品、贅沢品とみられていたが、今年は10円で相当品を求めることができ、画期的な安値となったので、大衆の長年のあこがれから、相当の需要を呼ぶだろう*と言うのです。

前回、「銘仙は34円で入手できるようになった」とありました。ちりめんは色柄をつける前の白生地なので安くなったと言っても110円ですから、すぐに縫ったら着物になる銘仙よりかなり高級品だったと言えるでしょう。この10円ですが、現在の金額でいくらかをお答えするのは難しいですが、約3000倍の3万円くらいではないでしょうか?

では、なぜちりめんは画期的な安値となったのでしょうか。その理由のひとつが原料の生糸の価格が大正後半に比べると昭和5年(1930)には4分の1程度に下がったことです(下図)。第一次大戦の好景気で潤った全国の農家は繭の増産をしたにもかかわらず、アメリカへの輸出が中心だった日本の生糸は化学繊維の開発や世界恐慌で売れ行きが低下しました。

 

*丹後縮緬同業組合『丹後縮緬』宣伝号 1930年 3〜4ページ

生糸と総平均卸売物価指数の推移

日本銀行統計局編『卸売物価指数(明治20年〜昭和37年)』(1964年)から生糸と総平均卸売物価指数を抽出して作成
明治33年10月=100とした指数