織協のあゆみ

1953(S.28)〜1955(S.30)

1953(S.28)

年度中 春秋の京都染織見本市等年間47回開催
3月 第1回ミスきものコンテスト

第1回ミスきものコンテストを開催。コンテストの上位入賞者のみ第1回きものショウに出演。

11月6・7日 第1回きものショウ開催

本会主催第1回きものショウを祇園甲部歌舞練場で開催。
演出:井上淳、舞台美術:堂本尚郎、西村昭二郎、中西凡
第2回演出総指揮:(舞踊家)伊藤道郎、舞台美術:河野鷹思、照明:小川昇
第3回演出総指揮:伊藤道郎、舞台美術:北川勇、照明:穴沢喜美男、音楽指揮:上野勝教
※ 第1回きものショウ開催に至るまでに、昭和26年に京都服飾研究会主催により「第1回現代服飾祭」を南座で開催。 昭和27年には京都服飾研究会、京都新聞社が共催し「第2回現代服飾祭」を八坂会館で開催。その後、現代服飾祭は発展的に織協主催により第1回きものショウの開催に至る。

11月17日 友禅史「宮崎友禅斎と近世の模様染」の編纂発行

宮崎友禅翁生誕300年記念事業の一つとして、友禅史「宮崎友禅斎と近世の模様染」が編纂発行される。

第1回ミス・ミセスきもの
コンテスト開催

第2回きものショウ開催

第1回きものショウ開催

 

1954(S.29)

2月11日 繊維税絶滅京都大会開催

京都新聞ホールにおいて、本会会員を始め西陣・染色関係等繊維団体を総動員し、4000名が鉢巻、陣羽織姿の出立ちで参加し、繊維消費税絶対反対決議を行った。

2月12日 白生地産地連絡協議会

全国白生地産地と室町白生地問屋が一堂に会し連絡協議会を開催。後年の全国絹白生地振興会の原点。

2月24日(臨時奢侈)繊維税反対全国大会開催

東京神田の共立講堂において、全国卸売業者約7,000名による臨時奢侈繊維税反対全国大会を開催。 全国的な猛反対と強力な団結力による阻止運動の結果、繊維税の立法化計画は流産となった。

5月1日 織協事務所を移転

移転先住所:下京区四条通烏丸西入ル函谷鉾町91 京都染織会館内に移転。

9月9日 宮崎友禅翁顕彰会を設立

友禅染の始祖と仰がれる宮崎友禅翁生誕300年を記念し、関連する団体、業者で顕彰会を設立。京都織物卸商協会が主宰。
共催団体:京都染織工芸事業協同組合 京都友禅協同組合 京染卸商業協同組合
日本染織図案家連盟 京都誂友禅工業協同組合 京都織物染色協同組合

11月17日 宮崎友禅翁銅像の建設

宮崎友禅翁生誕300年記念事業の一つとして友禅翁の銅像が完成。300余名の来賓を迎えて銅像除幕式を挙行。併せて、友禅翁が生前に縁の地である知恩院山門南側に、大正9年友禅史会により謝恩碑が建てられているが、戦後荒廃していた当地約1,500坪を公園化し美しい友禅染の始祖に対する謝恩碑に相応しい地域とすべく、友禅苑の造園を行った。

1955年(S.30)

1月1日 京都織物卸商健康保険組合設立許可

前年6月19日理事会で会員商社従業員の健康保持と福利増進を目的に健康保険組合設立を決定。厚生省より設立認可される。
事業所数:140社 被保険者数:3,918名

2月11日 日本染織意匠保護協会設立

プリントを中心とした自主的機関として関西広幅捺染意匠保護協会が設立され活動してきたが、染織意匠に対する重要性を認識した特許庁の厚意ある行政措置が講じられる事となり、既存の協会を発展的に解消し、染織関係11団体が結束して新たに日本染織意匠保護協会を設立。

11月15日 初めての集団による七五三参りを実施

生後3歳に達した年と男児5歳・女児7歳になった年の11月15日に産土神に参詣し、その成長と幸福を祈る七五三参りを、集団で実施し着用晴れ着を通して服飾流行の基調探索を行い、京都の染織業界発展に寄与すべく、初めての協会主催による七五三参りを実施。

 

1956(S.31)〜1959(S.34)

1956年(S.31)

4月8〜19日 新入社員補導教育講習会開催

参加新入社員:259名
講習科目:染織の京都、商品知識、職場の知識、服飾の知識、工場見学、新入社員心得、販売員の苦心談

1957年(S.32)

11月23日 創立10周年記念演芸大会開催 京都市勧業館
12月1日 創立10周年記念式典開催 都ホテル

10周年記念誌「京都織物卸市場の概要」を刊行。

1959年(S.34)

1月23日 織物物品税反対京都期成同盟総決起大会開催

関連団体を糾合し、総決起大会を開催、引き続き市中デモ行進。反対宣言文を内閣総理大臣、全閣僚、衆参両院議員に送付。

1月28日 全国織物物品税反対期成総決起大会開催

織物物品税反対全国期成同盟傘下の12団体2,500名が参加。

2月4日 全国織物小売物品税反対期成同盟総決起大会開催

全国織物小売業者を中心に8,000名が参加し総決起大会を開催。卸、メーカー、小売の全国的な反対運動により、6月1日に政府は高級織物物品税新設を断念。

 

白生地産地連絡競技会開催

織物物品税反対京都期成同盟
総決起大会

KFK(共栄振興会)主催
ウールファッションショウ

 

1960(S.35)〜1968(S.43)

1960年(S.35)

4月7日 第1回野外大きものショウ開催

昭和28年に第一回きものショウを開催以来、毎年春秋2回開催してきたが、この年から春は二条城庭園でのショウに切替。

4月16日 第1回経営者講座開催

1961年(S.36)

7月26日 第1回雇用対策懇談会開催

1962年(S.37)

2月13日〜3月1日 第1回中堅社員(部課長級)講座開催

3月1日 京都織物卸商協同組合設立認可

政府系金融機関「商工中金」から組合員に対する金融を主目的に設立。設立当初は僅か5,000万円の枠であったが、平成17年3月末では33億円余の借入高となっている。

1963年(S.38)

8月6日 共栄振興会(KFK)設立

毛織及び服地部部員商社と全国のデパート、著名洋装店500名が共存共栄を目的に設立。

1964年(S.39)

4月21日 京都産業会館起工式

1965年(S.40)

1月23日 社団法人京都産業会館設立

本会と京都市及び財団法人京都染織会館の三者が、協力して建設する会館の運営主体となる組織として社団法人京都産業会館を設立。織協の会員は1社残らず組織会員となり、ここに織協と表裏一体をなす社団法人京都産業会館が誕生。

5月28日 全国絹白生地振興会設立

白生地の振興発展を期して、全国の白生地産地組合と本会によって全国絹白生地振興会を設立。

6月24日 本会と社団法人京都輸出織物振興協会が合併総会を開催

本会と社団法人京都輸出織物振興協会が合併し、7月1日より社団法人京都織物商協会として新発足すべく合併総会を開催。

7月1日 社団法人京都織物商協会が新発足

会員129社により新発足。
8部制となる(西陣織物部、染呉服部、白生地部、関東織物部、和装製品部、服地及び洋装製品部、化学繊維部、貿易部)。

11月1日 京都産業会館竣工式

政・財界・会員商社代表者1,300名が参列。(社)織協事務所を京都産業会館内に移転。

11月1日 繊維貿易会館京都分室、京都産業会館5階にて展示事業開始
11月1日 織協計算センター、ツーリストグリル、京都産業会館5階にて業務開始

1966年(S.41)

9月7日 全日本きもの振興会発足

民族衣裳としてのきものの普及振興を計る目的で、生産組合としての中央団体と4大集散地の織商連が中心となり設立。初代理事長は当協会理事長(円城留二郎氏)が就任。

1967年(S.42)

10月〜12月 創立20周年記念事業を各種開催

20年の歩み刊行。


1968年(S.43)

4月1日 京都織物卸商厚生年金基金設立許可

当協会が母体となって設立した京都織物卸商健康保険組合を設立母体として、京都織物卸商厚生年金基金が厚生省より設立許可される。設立時事業所数:167社 被保険者数:12,000名

第1回野外きのもショウ開催

 

 

 

1969(S.44)

1969年(S.44)

4月7日 織協理事長円城留二郎氏京都商工会議所会頭に就任

5月28日 織協事件発覚

織協総会が突如延期発表。織協専務理事の無断貸付による背任発覚(いわゆる織協事件)。以後、真相調査・事後処理・再建計画について、連日対策会議がもたれる。

6月20日 織協 専務理事を告訴

織協は専務理事を有価証券偽造・同行使、背任、業務上横領の容疑で告訴。

6月20日 織協・協同組合臨時総会開催

午前10時〜織協臨時総会を開催。午後5時〜協同組合臨時総会開催。事件の経過報告と善後策を協議。1.事件の真相を追究し今後の両組合の再建計画を検討する緊急対策委員会を設置する。
2.織協・協同組合の理事及び監事全員が道義的責任をとって辞任する。
3.通常総会を30日に開催し、決算報告と役員改選を行い、再建計画の具体案を検討する。

6月30日 織協・協同組合通常総会開催

午前10時〜織協通常総会を開催。午後4時〜協同組合通常総会開催。織協・協同組合とも連記投票の結果、織協は西村大治郎氏が理事長に、協同組合は松居久左衛門氏が理事長に選任された。

7月14日 織協破産宣告

8月4日 京都綿スフ織物卸商業組合臨時総会

京都市場を一丸とし、全業界人の大同団結による商業組合に改組することを決議。

9月5日 京都綿スフ織物卸商業協同臨時総会

組合名称を京都織物卸商業組合とし、定款内容を全面的に改正し、出資組合並びに総代会制をはじめとする内容に変更。

9月22日 京都織物卸商業組合創立総会開催

組合員603社が加入。総代会制を採用し総代(100社)を選出。総代により理事44名、監事5名を選出。理事会により西村大治郎理事長を選出。事業を社団法人から商業組合に移管(社団法人は資産管理のみ残存)。

9月22日 織協計算センター業務を織商に移管
9月22日 繊維貿易會館京都分室 展示事業消滅

 

1972(S.46)〜1990(H.2)

1972年(S.47)

12月20日 立石電気(株)京都支店が入居(89.8坪)
12月20日 京都エンタープライズ・デベラップメント(株)が入居

1973年(S.48)

2月 計算センター業務を閉鎖

京都産業会館5階に入居の計算センター業務を閉鎖し、葛椏s計算センターに移管。

1979年(S.54)

6月15日 ティー・ジー・エス鰍ェ入居(32.1坪)
10月15日 ツーリストグリル強制執行による明け渡し

京都産業会館5階ツーリストグリルを契約不履行による明け渡し強制執行。

1980年(S.55)

8月20日 展示場貸出し事業開始

京都産業会館5階ツーリストグリル退去後の会場を展示場として貸出し事業を開始。

1984年(S.59)

10月15日

立石電気 京都営業所が退居。ティー・ジー・エス(株)が入居。(89.8坪)
日本染織意匠保護協会が入居。 (32.1坪)

1989年(H.1)

展示会場の第一次改修工事

織協から織商へ

京都産業会館5階展示場
貸出し事業開始

織協計算センター業務を
織商に移管

 

1991(H.3)〜2004(H.16)

1991年(H.3)

4月13日 染織祭資料当協会収蔵庫に収納

京都産業会館5階に当協会収蔵庫を整備し、長年にわたり平安神宮倉庫に預けていた染織祭資料を収納、保管。

1993年(H.5)

1月 京都和装産業振興財団入居

6月 展示場の第2次改修工事完了

従来の190坪の展示会場から262坪の会場に変更。


1995年(H.7)

1月17日 阪神大震災

1999年(H.11)

織協創立50周年記念事業「女性に見る時代風俗衣装展」の開催
記念誌「織協50年の歩み」発行

2002年(H.14)

11月16日〜17日 室町染織絵巻-町家の美術館の開催

2004年(H.16)

社団法人京都染織文化協会へ改組

社団法人として京都の染織業を公益的に発展させることを目的とした「染織文化振興」を活動理念に掲げ、生活文化の発展と染織品の企画・研究・開発・保存・公開を行い、染織文化の創造に寄与するとともに、社会に貢献するための事業を行う事を目的に改組を行った。